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記 事(Article) |
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「山下財宝」の亡霊 |
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フィリピンにおいて「山下財宝」として伝説化され、その存在さえ疑問符がついていた純金のコインが一挙に168枚も出現した。 金貨の表面は「福」という文字がレリーフとなっているため「マルフク」と呼ばれる。 マルフクを購入した大谷雄司(株)ダルマコイン代表は、1999年9月、香港で開かれたコインオークションの席上、米国の大手コイン業者「ロナルド・ギリオ・コーポレーション」の代表から一括購入を持ちかけられた。 これまでスイスやパリのコイン市場にも時々マルフクは現れていたが、せいぜい5〜6枚程度でこれほど大量のマルフクは初めて。ロナルド代表は誰が売ったのかは2002年まで明かさないという契約のため、出所は不明。
第二次大戦末期、軍事物資製造に必要な白金が欠乏。軍票(軍が発行する紙幣)の信用は既になくなっていたため海外で白金を買うことができなかった。そのため、白金を持つフィリピン華僑と取引するため、慶事の文字を刻んだマルフク金貨を製造した。ちなみに「福」の他に「禄」「寿」「富貴萬年」などがあり、「禄」はシンガポール、「寿」は上海に渡ったと伝えられている。 1944年10月、フィリピン・ルソン島中部のクラーク飛行場に大将山下奉文が降り立った。その3ヶ月前、クラーク飛行場に厳重な梱包物が着いた。それがマルフクでおよそ1t。枚数にして2万枚前後と推定される。 しかし、11月、ルソン島の南、レイテ島が米軍の手に落ち、戦局は急を告げ、白金収集どころではなくなった。マルフク金貨は山下司令部のあったマニラ近郊、マッキンレー兵舎に保管されていたが、順次、いくらかは各部隊に分配され、他は山下司令部とともに運び出された。 敗戦を北部山岳拠点で知る山下司令部には、およそ700枚のマルフク金貨があった。これが投降直前、将兵に配られている。 骨と皮にやせ衰えている日本兵が金貨を持っている。収容所から流れ出した噂はさざまみのように広がった。日本軍の北部に向けた退却路はすべて「黄金の道」となり、特に破壊された日本軍トラックなどの周囲は、100m四方が掘り返されたという。「山下財宝」伝説の始まりである。 日本軍は投降する際、わずかな武器弾薬であっても、小銃以外、そのほとんどを埋めている。「日本軍が夜陰にまぎれ、何かを埋めていた」という話はよく聞くが、いつの間にか財宝を埋めていたことになっていったのである。 日本軍はマルフク金貨以外にも、大量のペソ銀貨を持っていた。また、華僑など裕福なものは金目のものを日本軍から隠すため、埋めたりしたことも考えられる。しかし、「黄金2000トン」などという「山下財宝」伝説は後に作られた話であり、真実からは程遠い物語である。 それでも、多くの財宝探したち(その中には50名近い日本人も含まれる)が血眼になって「山下財宝」を探している。
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